あの日のワンショット「(21)香港」
香港へは1泊のトランジット2回を含めると4回行ったことになる。初めて香港に行ったのは昭和62年、大学4年の夏のこと。50日間にわたる、中国放浪の旅の最後に香港にたどり着いた。
往路は大阪から上海へ鑑真号という客船で中国へ上陸したが、復路のチケットは香港で買うと安いと聞いていたので、香港に着いてから買うことにしていた。香港入りするなりすぐにフィリピン航空の格安チケットを手に入れ、出発まで4日くらい香港に滞在した。
香港で思い出深いのは何といっても宿泊した宿だ。バックパッカーのバイブルである沢木耕太郎著「深夜特急」にも登場する香港歩きにはとても便利な場所にある重慶大厦(チュンキンマンション)の中あるゲストハウスに宿をとった。チュンキンマンションは相当に大きな雑居ビルで、低層階には雑貨屋や土産物屋などが雑然と並び、汗臭く壊れそうなエレベーターで上層階へ上っていくと、各階に小規模の安宿が点在している。香港に立ち寄るバックパッカーなら、おそらく知らない人はいないだろうというビルである。逆に、バックパッカー以外の人にはほとんど知られていないビルでもある。広さ3畳くらいの独房的な部屋にベッドと小さな机があるだけの部屋で、宿泊者共用の冷蔵庫があった。ゲストハウス入口の鍵と自分の部屋の鍵の二つを渡され、ホームステイのような感じだった。香港人になったような奇妙な感覚でこの狭い部屋で数日を過ごした。ただこの雑居ビルで火災や地震があったら、たぶん助からないだろうなんて思いながら。
地下鉄やバスに乗って、香港人が集まるビーチやマーケットなど、パックツアー客があまり行かないところを中心にまわった。屋台や香港風ファストフードの店で食事をしたり、知り合った日本人と中級レストランで北京ダックをはじめ様々な地方の中国料理を食べたりして、あまり費用をかけずとも、ときめきを感じる食生活であった。
帰国時のオマケが、旅の途中で出会い、蘭州・西寧を一緒に旅したAさんと香港の空港でばったり再会したこと。二つ目のオマケがフィリピンで騒乱が起きたらしくマニラでの乗り換えが怪しくなりながらも、やっとの思いでマニラで乗り継ぎはできたが預けた荷物がマニラに置き去りに・・・。数日後、中国での思い出がいっぱい詰まったバックパックが自宅に届いた時には本当にホッとしたことを思い出す。