あの日のワンショット「(8)ソビエト連邦 シベリア横断鉄道」
昭和64年夏、シベリア横断鉄道を走る車窓から雄大なツンドラの風景を眺めていた。ペレストロイカ以前のソビエト連邦を1週間かけてシベリア鉄道でナホトカからモスクワまで横断したのだ。
大学5年の夏、横浜港から2泊3日かけてソ連客船のチェルネンコ号で太平洋から津軽海峡を通りナホトカ港に渡った。ナホトカ一ハバロフスク間は連絡列車に乗り、ハバロフスクからシベリア鉄道に乗車した。車窓から見えるのは単調なシベリアのツンドラの風景が多く、時折小さな町(写真上)を過ぎてゆく。
シベリア鉄道の2等寝台はコンパートメントに2段ベッドが2組、4人1室になっている。列車内に10人近くいた日本人の若者は、食事時になると食堂車で席をともにして(写真上)、それぞれの旅の話や日本での話に花が咲いた。
夜になると、ひとつのコンパートメントに日本人と親日派の外人が集まり、ソ連入国時に買い込んだウオッカを持ち寄っては毎晩のように酒盛りが開かれた。我々が騒ぐので車掌さんが注意にくるが、ウオッカをなみなみとグラスについで車掌さんに手渡すと優しくたしなめて去り、少しすると今度は車掌さんが差し入れを持って来てくれたりと、多くの懐かしい思い出が蘇ってくる。
当時、ハバロフスク一モスクワ間で外国人が下車できるのはイルクーツクとノボシビルスクのみだった。多くの外国人はイルクーツクで一泊しバイカル湖ツアーに立ち寄る。私もバイカル湖を一目見ようとイルクーツクで24時間の途中下車をした。そしてシベリアの大地を1週間かけ極東からモスクワまで横断した。
モスクワに着いたときはこの列車の中で出会った仲間と、なんとも言い難い友情で結ばれた気持ちになったものである。