院長の部屋
COLUMN

院長の部屋 91号 いのちの理由

夏の暑さもようやく一息つき、肌に感じる風が秋を思わせる、そんな季節となってまいりました。この夏、皆さんはどんな思い出を作りましたか。

終戦記念日の頃になると、様々なメディアを通して戦争について考える記事や企画を目にします。私もこの夏、戦争に関する2つの催しに参加してきました。その中の一つ、元特攻隊員の板津忠正さんの講演会を聞いて私が感じたことや想いを綴ってみたいと思います。

板津さんは私費を投じて自分の足で全国を駆け巡っては、特攻で亡くなった多くの仲間の遺族を探し出し、また特攻で亡くなった方の資料収集に奔走して、後に鹿児島の知覧特攻平和会館の初代館長になられました。板津さんのお話を聞いて、特攻隊員が何を思って出撃していったか、これまでの私の認識と事実との相違に驚きを隠せませんでした。

特攻隊員には志願した多数の者のうちほんのひとにぎりしか任命されず、特攻隊員に選ばれることはとても名誉なことだったそうです。そんな学力・体力・人間性に秀でた超エリート集団である特攻隊の隊員たちは、自分さえよければというような個人主義とはほど遠い、自分よりも国、社会、家族、仲間を大切にする滅私の価値観をもち、一日でも早く出撃したいという気持ちで特攻の日を待ち望んでいたそうです。板津さんの言葉によれば「あの頃仲間はみんな、祖国で家族や仲間や子ども達がどんどん無差別爆撃によって殺されている戦況を横目に、一分一秒でも早く任務を遂行して一分一秒でも米軍の侵攻を遅らせたいと心から願っていた」とのこと。そして隊員はみんな親、兄弟、そして国のことを想い、護るため、とても純粋な気持ちで出撃したそうです。<国のため捨てる命は惜しからで ただ思わるる国の行く末>という特攻隊員の辞世の歌に、その気持ちがよく表われているように思います。

生き残った特攻隊員は戦後になって生き残ってしまった負い目に苦しみ、板津さんもその一人だったのですが、そんな彼を救ったのが、「特攻の母」トメさんの言葉でした。「なぜ生き残ったのか考えなさい。何かあなたにはしなければならないことがあって生かされたのだから」と。そして板津さんは先に示したように私費を投じて特攻隊員の資料収集に奔走し、その莫大な資料が基になって知覧特攻平和会館が創立しました。

平成6年から10年まで私は鹿児島大学医学部付属病院に勤務していました。その頃、知覧保養院という病院へ時々、皮膚科診療のために出かけることがありました。知覧の街並みを通り過ぎると特攻平和会館へ向かうなだらかな上り坂の道路の両側に篤志家から寄付された石灯籠が長く続きます。そして特攻平和会館を過ぎると、のんびりとした知覧の農村風景が広がります。こんなに穏やかな農村を見ていると、かつてこの地に特攻基地があって、お国のために命を賭してここから飛び立った若者1036人が帰らぬ人となったなんて想像がつかなかったのですが、鹿児島在住当時に特攻平和会館を訪ね、展示品や隊員の遺書にふれ、その多くの尊い犠牲について、とても身近に感じるようになりました。そして特攻隊員はじめ200万人とも言われる戦没者の犠牲の下に現在の平和が成り立っていることに感謝せずにはいられません。

最後に、さだまさしの「いのちの理由」の歌詞のフレーズに特攻隊員の想いを重ねて紹介して終わります。

「私が生まれてきた訳は 父と母とに出会うため 私が生まれてきた訳は きょうだいたちに出会うため 私が生まれてきた訳は 友達みんなに出会うため 私が生まれてきた訳は愛しいあなたに出会うため (中略) しあわせになるために 誰もが生まれてきたんだよ 悲しみの海の向こうから 喜びが満ちて来るように 私が生まれてきた訳は 愛しいあなたに出会うため 私が生まれてきた訳は 愛しいあなたを護るため」

平成26年8月28日 院長

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